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mzkが好きな日ごろ感じることを書くブログ。

2017.05.27
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2008.08.12
感覚で生きる、なんて腐ったような言葉だけど、そういうふうに感覚に頼って思考したり行動したりするのは、苦しいことなのかもしれません。

ん、感覚に頼って思考、って、矛盾してるかしら。

どちらにせよ、理論より感覚、という立場は、苦しいものなのかもしれません。

それは、自分のみを信じるということだから。
社会的文脈に頼らない。
そうして、仲間を作ろうとしないということだから。
相手に伝えようわからせようという力を持たない。


それは自分のすべてを純化させないとできないことなのかもしれません。

そのようにしていて苦しみを感じたなら、それは、自分の生み出したもの、だれのせいでもないのです。

だから、苦しくなるのかもしれません。
負のスパイラル、というやつですね。
そこから抜け出す術を、まだ知らないのか、忘れてしまったのか。
螺旋階段を、ひたすら駆け下りるしか、できないのです。
途中に抜け道のトンネルなんて、見つけられないのです。



最近身近な大人たちを見ていて、大人になるとは、自分を捨てることかもしれない、と思いました。
好きなものや信じるもの、譲れないものを手放して、社会的文脈を頼って自分もそれの一部となる。
思考や判断に、自分の軸なんてなくて、そのときの感情と損得勘定で、だいたいのことが決められていく。
子どもだちは、それに巻き込まれて、自分を信じる意味をだんだんと見失って、そうやって大人っていう世界に巻き込まれていくんだわ。
私はそれに気づいてしまったので、もう、大人になんか、なるものかって、意固地になってしまうのです。
それはそれで、世界を狭める、悪いやりかたなのだろうけど、私は、死にたいなんて言っている割にきっと自分が大好きなので、自分の好きなものも、信じるものも、捨ててしまいたくないのです。

そうやっているうちに、まわりにいる人たちはどんどん大人の世界に巻き込まれていってしまい、私は悪者になるのです。
子どものくせにわかったふりして、って、大人になりたくないということが、大人ぶってると見られてしまうの。
見え方なんてどうでもいいのだけれど、でも周りからそう見られていれば、周りと一緒にいることができなくなって、ひとり。

どこかに解りあえるひとがいると信じていても、現れないかもしれない、いないかもしれない。

頭や心の中が氾濫を起こしていって、過去の中でしか、生きられなくなってしまうのです。
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